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2011年5月 2日 (月)

さらっと流してください

すみません。
こんなタイトルつけるなら日記かかなければいいのですが・・

今日は気が思い日。

5年前の4月21日に総胆管ガン手術を受け、その後クリニカルパスとは程遠い体調になった父。

腹腔内出血が認められ、5月1日の午後18時過ぎに父から携帯に連絡が入りました。

「おねえちゃん・・いまからもう一度手術をするんだって」

力もなく、振り絞るような父の声に驚き、すぐに隣県病院にむかいました。

22時過ぎには「無事終了です。うまくいきましたよ」の執刀医。弟2人と私と旦那は心から喜びました。

ナースセンター前の病室に変わった父は麻酔からさめると「明日も子供達はがっこうだから早く帰りなさい。ありがとな」といいながら左手を弱弱しく挙げ別れました。

2日。末弟(三男)が午前中付き添い。
ベットを起こして・・・もうすぐ13時になるころ。

「熱い・・・額の汗を拭いてくれ」


そういう父のおでこにガーゼをあてた時、突然嘔吐し目をがっと見開いてショック状態になったようです。

まもなく三男から連絡あり。

「おねえちゃん。父さんやばいんだ。すごくやばいんだ・・」

あの日も・・今日と同じように5月らしい天気だった。

子供たちを小学校や幼稚園に向かいに行き、旦那にもすぐに早退してもらって病院へ。

その間に父は3回目の手術。

15時過ぎにICUで見た父は目は半分開いていて、すごくショックだった。

東京に住む長男も到着し・・

医師からは「輸血が必要です。血液センターのものよりこの場で献血してもらってすぐの生血が欲しい。そのほうがより血液凝固しやすくて出血を止められるんです」

もう・・兄弟必死になって地元の知り合いに輸血をお願いしたよ。
色んな人が色んな繋がりで献血をお願いしてくれて・・
「友達のメールをみて」といって全然知らない高校生とそのお母様も助けてくれました。
総勢50人以上の方々から助けていただいた。


私・・父さんが回復するような気がしていた。

4月21日の手術以来・・一度も食事もできず・・「腹減ったなあ・・」とつぶやきながらも点滴を受け続けてきた父さんの身体はとても冷たくて。
ICUで沢山のチューブをつながれ口には人工呼吸のチューブ。

弟3人と一緒に両腕、両脚を一生懸命にさすって温めるんだけど、なかなか温まらない。
顔も冷たいから、手のひらに息を吹きかけて暖かくして頬を包み込むんだけど、そのうち口の中に血がいっぱい溜まってきて。
それを医師に伝えたら「すぐに綺麗にしましょうね」って処置をしてくれて・・

モニターの数字が徐々に少なくなってきて・・
78・・50・・45・・
みんなで必死にさすって・・すると数字が少しあがるの。
そう・・復活してるんじゃなくて・・圧迫するから・・
今はそうわかるんだけど、そのときは回復してきた!って思って・・

そのうち・・長男が主治医に聞いた。

「この状態が続くとどうなるのか?」

「人工透析が必要になります。」

人工透析が必要って・・・大変だなあ・・そう思ったんだけど・・
・・マヌケでしょ・・落ち着けば透析どこじゃないってわかるんだけどね。

35・・28・・さすってもさすっても数字は減っていくばかり。

もう一度、長男が質問。

「本当に透析が必要なだけですむんですか?」


「・・・・・」無言

「どういうことなんだよ衝撃

「・・・・・心拍数がフラットになります」

「話が全然ちがうじゃないかよ衝撃


弟3人・・周辺にあった丸椅子を振りかざし医師に食ってかかりました。
もうICU騒然です。

カーテンの陰にいた新人ナースはこの状況をつぶさに記録しています。

それを見つけた弟はその用紙を奪い取ります。

「人の命がこんな時によくメモなんてとっていられるな。しかも影に隠れてこそこそと。お前のやるべき仕事は今はそんなことなのか」


私・・そんな中で父さんの左手をさすっていました。
不思議な時間が流れていました。

結局・・父の口からチューブを外し・・心拍数がなくなったのが5月3日午前9時44分。

主治医にくってかかる長男次男。
それをとめたのが三男でした。
主治医、担当医たちに言ったんです。「ありがとうございました」って。

そして「父さんなら、こんな事になったけど、今ここまで世話をしてくれたことに対しては礼をいうはず。そういう男なんだよ」

私も同感。ありがとうございましたと伝えました。


でも・・本当は2日が父の命日なのかな・・
「なんでお父さんは亡くなったの?」と聞かれても・・
直接の死因がガンでもなく・・一体どう答えたらいいんだろうって私達兄弟は今でもはっきりとした答えが出せないままです。


その後すぐ、父は病理解剖となり・・
自分が万が一の時はこうしてほしいと私に託した郵便物にのっとり煙りとなりました。


病院となぜこうなったか・・何回も話し合いの場を設けました。
そこでみえてきたのは医師の過酷な勤務体制や、派閥、医師と看護士の立場・・・
話し合い中に居眠りを始める副院長。
いろいろな事を主治医にだけ押し付けたり・・

そして、この場を設ける意味のなさを感じ、病院に対して訴状をだしました。

弁護士、協力医師、裁判所など・・一番働いてくれたのは三男です。
判決が出るまで4年。早々の和解を勧める裁判官にも何度も思いをぶつけました。彼の思いが裁判官たちにも伝わった結果がでたと弁護士にも言われました。


だらだらと長くなってしまいました。

今。。この時間をむかえるのがこわいんです。
こうなるのがわかっていれば・・手術は受けさせなかった・・とか・・
戻れない時間なのに戻って欲しいと願う。

最後に・・


葬儀が終わり、食事をしていたら稲光とものすごい雨。
その後自宅に入ろうとしたら骨壷をもった伯母が手を滑らせ玄関先で骨が散乱。こんな姿で家に入るのが嫌だったんだろうと思います。

49日は「父の日」

なんか・・父さん・・シナリオ作っていた?(笑)

みんな元気だよ。
おばあちゃんも96歳だけど、まだまだそちらには行きません(笑)
大ちゃん、洋ちゃん家族も皆元気。
栄ちゃんが昨年入籍したよ。

そっちも桜きれいだった?
韮山の家、最近手入れしていなくてごめんね。

父さんの好きな黒ラベルのビールかって来たよ。
今から出すね。

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